ノダッコデイズ vol.2

がんばるぞ!
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読んだ本について
まとまった文章を書きたい気分になった。ので。
最近読んだ本について書いてみる。

「縄文聖地巡礼」中沢新一・坂本龍一
この2人が日本津々浦々の「縄文的な」土地を訪ね歩き、9・11後の世界について話し語り合う形式の話。
どうしても本の装丁が気になり、何でに段組みなんだろうとか、この紙の手触りは一体、とか、
多分これはデザイナーが入ったんだなーとかどうでも良いことを色々思ってしまう。
肝心の中身と言えば、正直意味が分からなかった。
行き詰まりのポストモダンへのカウンターカルチャーを模索する1つのヒントが国家が誕生する以前の人類の生活=縄文時代の生活である、という趣旨がまず良くわからなかった。弥生時代=農耕民族による都市国家の形成時期、ということに対するアンチテーゼで、恐らく農耕や都市国家というものがモダニズムのリノア的考え方から見ると「優れている」と見なされていたことに対し、一石を投じるという話。そして縄文土器の美しさや、垂直ではなく水平で物事を捉える視点の重要性について説いている本だと読みました。
が、 しかい。つまるところ、「根拠」は何ですか。という話である。やっぱり空想・妄想が論を補いすぎるところがある。
ので途中から何を持ってふたりが「縄文的」と言っているのかがさっぱりわからなかった。
例えばある遺跡や建物・現状を捉えたときに「これは実に縄文的だ!」と言っていても多分言葉の定義がふわっとしている(そしてそれは恣意的だ)であるため、感覚的すぎる印象は拭えなかったし、根拠レスな前提に基づいて話を進めすぎている気がしました。この類いの本、素直に読めなくなってしまった。
と言いつつも、やっぱり文章には色気があるし、ふたりが創作の源泉として「縄文」を真剣に見直していることがわかり、
ファンとしては目から鱗であったことは否定できない。なんとゆうか、論拠。頭の中の話ではなく、実証的な論拠の問題。

「キッチン」
なんか久しぶりに小説を読みました。
そして、何だこの90年代初期のような(小説は1987年出版)、岩井俊二の初期の映画のような空気は…!と度肝を抜かれました。
めちゃくちゃ軽いのです。収められている作品全てに「死」が関わってきているが、登場人物たちは深く人生を嘆き悲しむでもない。謎の出会いと謎の人間関係の中から「死」を受け入れるというテーマが繰り返し出てきます。
そしてその受け入れ方も悩みに悩んだり、人をめちゃくちゃに傷つけたり自分を物理的・精神的に傷つけたりしてようやく受け入れるではなく、やっぱり人との関係性の中でのことです。死んだおばあちゃんではなく、謎の出会いがもたらした現在生きている他人との関係性から「死」とは何かを学び、受け入れていく過程が書かれているよう感じました。
ただ、それがものすごく軽い口語調で書かれている点が、時代なんだなーと。
普通に「である」調で書かれていた言葉遣いが急にしゃべり口調になる。特に、主人公が何かしら大事な経験をした後など。
会話も何か軽い。人が死んでいなくなることと、例えばさっき道に10円落としちゃった、みたいな会話が同じレベルで語られている感じ。何でもない日常と「死」が同じように扱われている軽さがある点で、例えば「ノルウェイの森」とは全然違うと思いました。ノルウェイの方がうじうじしている。
うまくまとまりませんが、「軽い」です。とにかく。そして、2013年の今こんな軽い小説書けないだろうと思いました。






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