ノダッコデイズ vol.2

がんばるぞ!
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impressionism
1860年前後よりフランスで起こった美術の運動。
ボードレールの「モデルニテは移ろいやすいもの、消えやすいもの、偶然的なもの…」という有名な言葉があるように、
歴史画や神話画といった「過去」の出来事を描き出すのではなく、
急激に変化し始めていた新しい都市生活に強い関心を示し始める画家が登場する。
こうした点で、クールベのレアリスムやバルビゾン派の描き出す農村風景といった
目の前の風景に光を当てて行く、という流れが繋がる。
ナポレオン3世が指揮を執る第2帝政期にあたる。

マネは1863年に《草上の昼食》《オランピア》を発表。
従来の会が表現では、人物は画面からくっきりと浮かび上がるよう輪郭線を明確にし、筆跡を残さない精緻な描き方をすることがクリシェであったが、
マネは奥行きを感じさせない絵画空間と、のっぺりとした肉付けによって裸婦像を描く。
こうした「理想化」をされていない、生身の人体表現はセンセーショナルであった。

モネは、第2帝政の都市開発によって生じた新しい生活スタイルを
屋外の光あふれる自然の中で描き出す。
その際、瞬時に移り行く時の流れ、光の色を表現するために
筆触分割という手法を用いて着色をする。
また、ものの固有色にとらわれない色彩をちりばめることにより、
モネが描く絵からは、当時彼が実際に見ていた光の色、風のそよぎ、森や草の音や水の揺らぎを感じることが出来る。
1874年、サロンの落選者を集めた「第一回印象派展」に《日の出 印象》を出品。当時最も評価されていたアカデミックな絵画とは全く異なる表現の可能性を打ち立てる。
1880年代以降は「積み荷」などの連作に取りかかり、1890年代からは「睡蓮」の連絡によって絵を描く対象が光と水の反映の中溶け合う様を描く。

最も印象派的と言える画家のルノワールの初期の絵画は、
明るい日差しの中で楽しそうに談笑する人々の姿や、木漏れ日の光に溶け込んでしまうかのような裸婦を目にすることが出来る。
しかし、ものの輪郭をぼやかしてしまうこうした表現方法に疑問を持ったルノワールは、アングルの新古典主義を勉強し、明確な輪郭線や冷たい色彩によって新たな人物像を描き出そうと苦心する。

パリ生まれのドガは、画業の初期にアカデミーで古典主義を徹底的に学ぶ。その結果得られた卓越したデッサン力は、印象派的な主題・表現を試み始めた後にも大きく活かされる。
筆触分割をほとんど用いず、都会の夜の表情を人工的な光の中で生き生きと描き出す。
見たままの瞬間を切り取るという鋭い目線と卓越した画面構成力・デッサン力によって、
ダンサーの一瞬の動き、都会で暮らす人々の刹那の表情を画面の中におさめる。
中期から晩年にかけて、デッサンと着色が同時に可能であるパステルを使用して多くの作品を残す。
1888年のポータブルカメラ発明以降、写真というメディアにいち早く興味を示し、
多重露光などで明暗表現の実験を試みる。

art | 15:03 | comments(0) | -
Pre-Raphaelite Brotherhood
ラファエル前派

ヴィクトリア女王(1837-1901)時代に起こった芸術運動。
パックス・ブリタニカのイギリスにおける貧富の差や産業革命による都市の変化、
1848年の2月革命の余波が背景にある。
保守的なアカデミーが規範としていたラファエル以前の芸術表現に戻る
という理想を掲げたイギリス版レアリスムだが、
写実的な描写によって現実を描くのではなく、理想の世界・物語を描き上げる点で
フランスにおけるレアリスムとは異なる。
また、19世紀ギリシャからイギリスへ渡ったエルギン・マーブルの影響もあり、
古代ギリシア美術を官能的・甘美な理想美として解釈し、
神話がではなく風俗画によって表現しなおす傾向もある。
当時イギリスに留学していた夏目漱石はラファエル前派の美術作品に大きな影響を受ける。
例えば『草枕』における「オフィーリア」、『薤露行』の「王女グヴィネア」。

と言われているが、ラファエル前派が描き出す人物像は全く写実的だとは思えない。というよりも、下手だと言わざるを得ない。女性たちの姿も、画家の(社会の?)理想の中の女性像だと解釈すれば、その血の通っていない肌の色や空虚な瞳、あるいは意思の強すぎる瞳と豊満な身体は理解できるだろう。
こうした人物描写に加え、見えるものを全て性格に描写しようとする粘着質さや色彩の不必要なまでの鮮やかからは、陰鬱的な雰囲気さえ感じる。太陽の光や穏やかな農村風景を描いたバルビゾン派と比べてみると、その陰気さが際立つ。しかし、彼らの絵には見るものを絵の世界へ誘う何らかの力が備わっている。これこそが、イギリスの芸術における物語性なのかもしれない。絵の中の人物や景色は、あきらかに何かの場面であり、鑑賞者は言葉のない絵の世界から物語を紡ぎだすことが出来る。
art | 21:26 | comments(0) | -
螺旋海岸
弾丸で志賀理江子さんの展覧会「螺旋海岸」を見てきました。

周りの人の評判がものすごく良くて、実際どんなもんかと気になって新幹線にライド・オン。
結果、正直に言うと無邪気に「良かった!」とは言えませんでした。
その理由を考えてみると、おそらく入った瞬間目の前に現れたのが後ろ向きになった大量のパネルだったことが大きいのかもしれません。
あと、写真の貼りが荒かったこと。
すべて震災を想起させるよう、恣意的に展示しているんだと思いますが、
気になってしまった。

とはいえ、新幹線代を払った価値は非常にあって、
あんな身体的な写真展、私は初めていきました。
志賀さんの写真は人間の悲しみや業、醜さや一瞬だけの美しさが凝縮されているようで、
正直ちょっと怖い。
浮世離れしているようで、本当の世界の様相は、こうした姿をしているのではないかと思えてきます。
等身大に引き伸ばされた写真の群れ(「群れ」と言えると思う)に向き合い、間をくぐり抜けていくと、
気がついたら作家の頭の中に迷い込んだ感覚に襲われました。
写真家はイメージが勝負だと思っていたけど、結構言葉を使うことにも驚いた。
「何となくよかった」ではなく、
きちんと読み解くことを、展覧会自体が求めているんだなぁと思いました。

何百枚もある写真のパネルは一見無造作に置かれているようで、
入り口近くは主に白黒のイメージを、奥に向かうほど鮮やかで生命を感じる作品を、
というように、考えられて展開していました。

震災を受けての展示である、とうたっていましたが、
生きることに対しての、根源的な問いかけを会場全体で行っているような気がしました。

「すごくいいよー!」と言えるタイプの展覧会ではありませんでしたが、
とても良い展覧会でした。

それにしても仙台では悪いことできないです。


art | 18:13 | comments(0) | -
久々の長文
昨日何気なく大学時代の友人のブログを見てみたら(青森で働いているアノ人です笑)なんと更新している!!!!!!!!!!!!
と思ったら何人かのサークルの友人も更新していたので、便乗しようと思います。見てんのかな、これ。大学時代懐かしいなー。仙台行きたいです、本当。てか皆に会いたいな。

来月というか来週渡仏することにしました。調査という名の観光です。いや、一応ちゃんと調査です。
というわけで最近向こうの美術館の人やらホテルやらと連絡を取り合っているのですが、外国語で文章を書いている自分に酔っています。笑
それがどんなに間違った文章だろと、幸か不幸か本人は気付いていないので。。
昔よりは英仏共に使える単語や言い回しが増えたような気がしているので、やっぱ大学院入って良かったのかもと思うようにしています。

そんなわけで1人で行くのは相変わらずですが、今回は向こうで人に会ったり出来そうで、それが怖くもあり楽しみでもあります。
先日までとある展覧会のお手伝いをしており、そこで出会ったキュレーターの方がパリ在住の哲学者ご夫妻を紹介して下さって、多分一緒にご飯出来るのではないかと思っています。
あと、フランス人の友達が昔日本に留学していた友達に連絡してくれると言っていたし、知り合いの方も向こうにいるので多分会える!!!
と思うと色々と楽しみです。

フランスに行ったのはもう彼是5年も前のことで、その時はただひたすら観光でとても楽しかった。
今回は趣旨が違うのでただ観光しに行くのとは違うのですが、それはそれで興味深い経験が出来るのではないかと思っています。
行きたくないなぁ。。と思う時もありますが(贅沢言うな!ともう一人の私が憤慨している)、今日フランス語ちょっと練習して、思ったよりも口から出てきて少し自信を持った。
後は資料探したり歩きやすい靴を買ったり準備頑張ります。


話は変わりますが、今西沢立衛という建築家の本を読んでいます。結構面白い。
オラファー・エリアソンや青木淳と対談している本で、現在の美術館の役割を考えるという内容です。
確かに新しい建築をつくれば人は集まるだろうし、街づくりにも繋げられるから素晴らしい事だろうけれど、現状として多くの日本の美術館はその波に乗っていないし時代のニーズに完全にあっていない。まだ80年代に取り残されている。
また、現代美術館は今生きているアーティスト(及びその作品)を前提としているけれど、既に死んでしまった作家の作品が基本となっている美術館の方が圧倒的に多いと思う。後者の場合(特に日本の美術家の場合)、いわゆるホワイトキューブは全く作品に適さず、壁の白さとニュートラル性のみが際立った暴力的な空間になってしまうのだけれども、多くの日本の美術館が抱えているこうした問題を建築家はどう解釈・解決するつもりなのか!キュレーターだけの仕事ではないと思うのです。
こうした現状を彼らはどう考えているのかを聞きたいです。
先日友人と話していて改めて思ったんだけど、美術を勉強している人がデザイン系の展覧会に行くと何だか違和感を感じて満足せずに帰ってくる事が多いのはどうしてなのか。この「違和感」の原因をここ数年いつも探しているんだけど、答えは今も見つからず。
デザインやっている人が美術展見て「うーーん」て思う事は往々にしてあるのか、結構気になります。今度話してみよう。

何にしても皆に会って話がしたい!!!!!!!!!!
ブログやtwitterも良いけど、やっぱ話す方が楽しいよね。
そのうち同窓会みたいに出来たらいいな〜
でもブログも楽しみにしているよ、みなさん!
art | 23:00 | comments(2) | -
what i saw today



@国立国際
・ルノワール展
思いのほか良かった。しかし入るのに30分も待った。雨の中。マジかよ。
入ったら予想通り人人人で、全く作品見たい気持ちになれなくって凄い速さで会場を駆け抜けた。が、ルノはやっぱり初期作品のほうが面白く、それは多分後期になると人物に魂や意志みたいなものが欠如しているように見えるからだろう。

・荒川修作
よくわからなかった。写真が良かったから期待しすぎたかもしれないし、私がセンスないのかもしれない。あんまり作品としての勢いが感じられなかった。でもいっこだけ良いのあったけど。

・コレクション展
会田誠が意外と面白くなくて残念。でも確かに以前見たときよりは作品が細部まで描きこまれていて、完成度は上がってた気がします。
ジョセフ・コスースはすぐ誰の作品なのか解る点では面白いけれども、確かに美術館に行かなくてもコンセプトが判ればそれで済んでしまうので、うーーんと唸る。
面白かったのがギュウちゃんのボクシングペインティングと、ラウシェンバーグとアルマン。ギュウちゃんは勢いだけではない繊細さがあったし、ラウシェンバーグはセンスが良すぎるし、アルマンはゴミすれすれだけどカッコいい。最高だ!!!!!!
ボイスの作品もいくつかあったけれど、よくわからなかった。

最近フランス人と美術の話をしようと試みているが、その中で彼は「そんなの詐欺師だ」と良く言っている。
詐欺師もいるし、そうじゃない人もいる。

@ギャラリー
高嶺格さんのワークショップを基にした展覧会。
パブリックスペースで裸になる事=プライベートなのか?パブリックとプライベートって結構前から考えているけれども、結構な場合空間に規定される事が多い気がするので、服を脱ぐことがプライベートか、と言われるとちょっと首をかしげる。

art | 01:21 | comments(0) | -
最近みたもの




土日に金沢・富山へ行き、海鮮三昧してきました。北陸サイコー。父さんの出身地ということを誇りに思います。

目的は21世紀美術館のオラファー・エリアソン展でした。
が。
期待しすぎたのか、私はイマイチでした。
というのは、結構やっていることが普通だと感じたためです。
彼の作品は感覚の当たり前を問うものが多く、
例えば今見ている世界が、光一つで全く違った世界になってしまうというような
視覚・空間・光・を問題にした作品ばかりでした。
「だまし絵」みたいな感じだった。
それはそれでよかったんだけれども、
造形美術好きとしては何だか物足りなく、
階段にチャラーンとつるされていたサラ・ジー作品の圧倒的な造形センスに圧倒されました。よかった。

富山県立美術館には素晴らしいリヒター、ポロック、フランシスという作家がおり(ティンゲリーとサンファルのスケッチも良かった)、私は満足して帰ったんだけれども
いかんせん来場者が少なすぎる。
21世紀も富山も地方美術館であることには変わりないのに、
光と影を見ているようで切なかったです。でも地方美術館の現状は富山が表している。
21世紀の圧倒的な楽しさはやっぱりほかの美術館にはない魅力だし、
何より美術館でありながらあの敷居の低さ。
観光スポットになってやろう感が潔くて結構好きです。
また行きたいと自然に思わせる。

しかし富山のリヒターは本当にみんな見るべきだ。富山県民はあのリヒターをもっと誇るべきです。
あと、小ぶりながら質の良いポロックも。
私は大原美術館のポロックが日本の中ではいちばんかしらと思っていたけれど、
富山も負けてないぜ!

今年は結構良い展覧会・美術作品に出合うことが多く、当たり年なのかとうれしいです。
特に良かったのは、レベッカ・ホルン@東京都現代美術館、束芋@横浜美術館、クワクボリョウタ@大阪のギャラリー。等伯@東博もよかった。お猿可愛い。滋賀のno-maというところでやっている展覧会も、とてもよかった。感想は気が向いたらまた後ほど。
滋賀県立美術館にあった金山明と斎藤義重の絵画もサイコー!でした。
たくさん勉強し、たくさん見る、考える、楽しむ一年にするぞ。

art | 23:22 | comments(2) | -
the story of art
E.H.ゴンブリッチ
ファイドン

自分への誕生日プレゼントとして買いました。
今更?って気もするけれど、手元に置いて起きたかたんだ。

art | 01:32 | comments(0) | -
私は私ではない


「ウィリアム・ケントリッジ展 歩きながら歴史を考える」
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2009/376.html



研究室の先輩たちと見に行ってきた。
研究室の人と美術を見るときはいつも緊張する。真剣に見ることと、楽しんでみることの境目がわからないからだ。
現代美術はわたしやっぱり無理なのかもしれないけれど、それでもケントリッジの作品はとても面白くて思慮深くって、感動する映像だった。
自己分裂して、色々な風景にとろけていく様子が粗めのドローイングによる映像で表現されていた。
現実と夢の区別がつかなくなっていって、あったはずの風景や身体が消滅していって、最初から何もなかったかのような景色だけが残るという映像は見ていて美しいかったし、悲しくもあった。

その後のパフォーマンスも短いながら内容詰まっていてアドリブ満載芸達者。
やっぱアーティストはそうでないと!
 
art | 00:50 | comments(0) | -
デュシャンと村上隆
 


私は現在現代美術講義のTAをやっています。

本日はこいつ、マルセル・デュシャンや村上隆のオタクフィギュアについてだった。

デュシャンの便器なんて、正直モダンアートの言説を語る上では腐るほど引用されるし、現代美術の作家も意識してるやつだから、なんかもうある種のカノンみたいに思えて、今更この作品についてどーのこーのとは思いませんでした。まぁよくわらかん、とゆうか、美術とは知的なものだと。

でも、今日改めてこの作品について考えてみた。

私はこいつを初めて知ったのはきっと3,4年前で、その時どう感じたか、はたまた感じなかったのかなんて忘れてしまった。
でも、この作品が便器だって気付かなかったんだ。
だからなんかのオブジェだと思ったんではないかな。
それか、これが「美術です」って言われるわけを先に知ってしまってたか。

今日学部生の話をよーーく聞いていたら、「美術ってのは見ててここちいいものだとゆう認識があるから、こんな作品を美術と呼ぶなんて胸糞悪くなる」って言ってる人がいた。
この美術=心地いいもの、きれいなもの、ってゆう認識は当然たと思う。

デュシャンは美術という制度にはむかって、そんな制度なんてくそくらえだってゆう気持ちでこの作品を制作したって言われてるし、まぁ実際そうなんだろう。
でも、私はこれを美術作品と思っていた。とゆうか、疑いもしなかった。

じゃあ、私にとっての美術の定義ってなんなんだろう?

と思った時に、ぱっと答えが出なかった。

好きな作家はたくさんいると思ってる。
マイケル・リンやジェームス・タレル、もちろんマティスに照屋勇賢、宮島達夫、河鍋暁斎、マルセル・デュマスもいいし、ルネサンス美術も好きだ。べただけど、フェルメールなんかも普通に好きだし、建築家はもっとベタだけどコルビジェやレンゾ・ピアノが好きだ。
じゃあ、この「好き」をつなぐ基準って自分の中にあるのかな?

私がこれは美術だわ!って思うものって、やっぱり「きれいなもの」なんだと思う。宮島なんかはすごくコンセプチュアルだけど、やっぱりネオンの色彩が素敵だなって思うし。
でも、「好き」って気持ちは置いといても、これは美術だなーって思うものもある。
特に先日お話をした方法論美術作家や新国誠一はすごい正統的な美術って思った。
新国誠一は形も美しかったけど、きっと表現に至るまでの思考なんだ。

だから、こないだ見たアヴァンギャルド・チャイナはすごい汚い美術だと思ったけど、作品の裏にある思考をガンガンに感じたからまぎれもない「美術」って思った。
思考と作品がぴったりしているものを、今の私は「美術」って定義づけてるんだと思う。
プロのアーティストなんだから、つくる理由があってほしいって。

でも、先日お会いした人が、「言ってることと表現が全然違うから魅力的な作家がたくさんいるんだよ」って言ってて、それもそうだなと思ってしまった。

村上隆は別に好きか嫌いかは置いといて、美術を何でつくるのかってゆうその土台を巧みな思考と言説と知識で補っているってか、固めてて、戦略的だなって感じるけど作品の奥に「思考」を感じるから美術だと思う。

もしかしたら、どんどんかわるのかもしれないけど、せっかくのいい機会だから私にとっての「美術」って何だろうって、考えていきたいと思っています。
そして、カノンとして崇められているものこそ疑っていかないとダメなんだって、今更気づきました。
だから論文困ってる。もう誰の言葉も信じられなくなって、論文読んでも画家の言葉を読んでも、ぜーーーんぶ嘘っぱちに聞こえてしまう。から、一体何に頼ればいいのかわからない。発表できるのか??

とりあえず今日はデュシャンを今更ながら考える機会になったし、美術についても考えるきっかけになったからよかった。
来週はヤノベケンジに会ってくる!アトムスーツ!!
art | 20:51 | comments(0) | -
kyoto,and the dog island




先週末は前の大学の友達にたくさん会えてうれしかったー
なんか久しぶりに会ってるのに「ちょっと近所のあゆんちまで」って感じで会えるのって楽しいな。

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art | 23:13 | comments(0) | -
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